出来ていることに注意を向ける習慣 

今日はいつもの3割増しくらいの利用者さんが来て、忙しかった。
そういうときに限って、いつもはないような仕事が舞い込んだりする。

連絡帳にあったご家族からのコメントに何かアドバイスを書いてくれとのこと。


『体調は良いようなのですが、体が思うように動かないです』



あえてアドバイスを求めているようにも思えないけれど、こちらからのコメントを考えると、う〜ん、と考えてしまった。


家族はどうしたらもっと良くなるか、動けるようになるかということを聞きたいのかなあと思った。
私はいつもそんな風に自分の仕事に期待を持たれていると考えてしまうので、それに満足に応えられない自分にひけめを感じたりプレッシャーを感じたりして、気が重くなってしまうのだ。


仕事をしながら考えた末、答えを書いた。


『出来ているところに注意を向けて、それを伸ばしてゆきましょう。』




人へのコメントを考えることで、自分の問題の答えに気づかされるような、そんな出来事だった。

曲がり角 

ひと月ちょっと前に寝違いを起こして、更に腕の痺れが発症しました。

自分では斜角筋症候群かと思っていましたが、診察を受けると頚椎の椎間板ヘルニアの疑いという診断をうけました。

電撃的な症状は和らいだとはいえ、症状は相変わらず。

おまけに夜な夜な同側の歯の痛みにも悩まされるようになり、先日ようやく重い腰を上げて歯医者に行きました。

虫歯かと思いきや、歯軋りが原因ではないかとのこと。
虫歯を治療すればこの痛みは治まるかと思っていたのが裏切られ、が〜んとショックを受けました。


寝違いも突然起こるように思うけれど、必ず強い肩こりの症状が土台としてあるとのことを治療家の方が言われていました。


そうだよなあ。

私の場合も、自覚症状はなかったけれど、人から首がバリバリに張っているとよく言われていました。

こうして痺れが出て、更に歯痛が起こったのは、寝ているときの状態が悪化して、歯を食いしばるような状況を引き起こし、身体の状態も良くなくて炎症を引き起こしたのではないかと思いました。


歯の掃除と噛み合わせの調整を少ししたり、マウスピースなども薦められたけど、結局は対症療法だよな。


精神の緊張が脳の緊張を引き起こし、首の筋肉の緊張が起こり、頚椎の歪みをつくり、神経や血管を圧迫し、血行不良や痺れの症状を引き起こしたように思います。

もともと内臓などの身体自体は弱くはない方で、病気らしい病気はしてこなかったけれど、年齢を重ねてきて、その悪い要素の蓄積とそれに対応する生理機能の低下によって身体が補いきれなくなって、症状がどーんと出たのだろう。




改めて、根本的な生き方を変える選択を迫られているような気がしました。

ワーキングプア 

昨夜のNHKで派遣切りの問題についてドキュメンタリーをやっていたのを見ました。

なんだかとても共感するところがありました。

私も働いていても僅かな貯金しか出来ず、程度の違いはあれ、ゆとりというものがない。

ただ生活をするために生活を切り詰めているような状態で、その心理的なものはとても共感しました。


先日頚椎の椎間板ヘルニアの疑いという診断を受けて、腕の痺れがなかなか良くなる見込みが見えてこないし、肉体労働的にも先行きの不安を強く感じました。


派遣の問題は恐らくは発端であって、貧困や格差の問題は多くの人が抱えているのだろうなって思いました。

派遣も社員も苦しい。自営業も苦しい。


自分も何か関わりたいなあって感じました。

自分のモチベーション 

私は何かに駆られるようにして色々な行動をしてきたように思う。

外からそれを見ている人がいて、その行動の元となっているものにきづかされたのかも知れない。

それは、自分の本心が出せない苦しさみたいだ。

ずるさとか、弱さとか、怒りとか、
見せたくない部分が多すぎて、隠そうとしていい面ばかりを見せようと外面を作って人に接してばかりいたせいで、
きっと多くの人が、同じように外面でしか私に接しないのだろう。

そんな関係ばかりだから、もっと色んな面を見せ合える関係を持つことが出来なかったのかも知れない。



とにもかくにも、自分の人生を息苦しくしている深い原因はこのことが大きく関わっていると思う。

でなければ、こんなに衝撃を受けることはなかっただろうから。



今でも周りの人の顔色が気になって、いや、どう思われるのかが恐ろしくて、居心地が悪くて仕方がない。
 黙ってしまうと、その人との関係はもうだめだと感じてしまう。
またひとつ、関係を駄目にしたと思うと、不安になったり希望を失ったり、自己否定の考えばかりが出たりして、
葛藤したり、緊張したり、罪悪感を感じたり、何だか子供の頃に正座させられてこっ酷く叱られているような、そんな精神状態になってしまって、どっちにしても疲れてしまう。



とにかく、そんなことが私のモチベーションなのだと思う。

『うつから帰って参りました』 

読みました。

脚本家の一色伸幸さんのご自身のうつ病体験を、プロの脚本家らしく?書かれた本です。

私はテレビも小説もあまり見ないし、芸能人もよく知らないし、馴染みのない世界の話を聞かされている感じでほとんど流し読みでしたが、それでもやっぱりただの体験談などとは全然違って、さすがに脚本家って違うなあって感じさせられました。


うつの気分というのと、うつ病というのは、やっぱり一線を画するものなんだなあって感じました。

それぞれ人によっても違うんだろうとは思うけれど。


本文より

取材でオーストラリアのボンダイ・ビーチに行った時、独特の色をした海に紫外線たっぷりの鮮やかな太陽が注ぎ、絵葉書の中に迷い込んだようだった。
開放感に満たされた女性アシスタント・プロデューサーが、
「こういう環境ならうつ病になる人なんていないでしょうね」と軽く発言したので、驚いて開いた口が塞がらなかった。
彼女は十分に知性を持った人だが、沈鬱な環境がうつ病を招くというあまりに短絡的な誤解をしている。
どういう病気か理解してもらえない。それがうつ病の一番厄介な点だ。
仮にうつ病一般を把握してくれていても、問題は、僕のうつ病、や、あなたのうつ病、で、脳の中で起こる現象だから個人差も大きい。
わかりにくく、わからせにくい。


これは、うつ病を体験した著者だから痛感することなんだと思う。
「わたし」の経験からの「うつ」と、そこから想像する「うつ病」とを自分なりに解釈しているから、このようなギャップが生じるのだろう。

そもそも自分の体験からの感じ方しかわからないし、人間は本当は行き違いだらけなんだろうけど。
言葉のやり取りや知識からの想像だけで勝手にわかったような気になってしまっているだけなんだろうなあ。

そしてそもそも全ての現象は、自分の脳の中で起こっているんですよね。
だから行き違いはみんな、お互いさまなんだろう。きっと。

私もこの本を読んで、うつ病ってそんなに・・・という思いを新たに感じました。



最後に印象に残ったのはこんなところでした。

本のページも残りわずかになり、著者も仕事を始めたりして、このままハッピーエンドみたいな流れなのかなあと漠然と思っていたら、ちょっとショックな内容が出てきました。
この本にも登場した、著者と関わりのあった身近な人が2人、近年になって自殺をしたそうだ。


彼らがうつ病であったかは知らない。
ただ、自分で命を絶とうと思い詰めた点は数年前の僕と同じだ。

何が彼らと僕をわけたのか、分からない。
ひとつだけ思い当たるのは、ずるさだ。
病気になったとたん、僕はそれまで見向きもしなかった家族に甘えることを躊躇しなかった。
仕事を放棄し、臆面もなく妻の胸に縋りついた。
僕を救ったのは弱さだった。

2人がいなくなったことを、惜しく、悲しく、寂しく思う。
しかし、病気で亡くなった人を送るのと同じ気持ちだ。

人生のA面といえる幸福の数々を諭せば自殺を思いとどまると考える人がいる。
難病にかかった人のドキュメンタリーを見せて命の大切さを教えようとする人もいる。
うつ病患者には、時間の無駄だ。
それで死を思いとどまるなら、その治療はがんにも心臓病にも有効なはずだ。

うつ病に離間し、思い詰めた経験のあるものは知っている。
肉体に限りがあるように、心にも寿命がある。
だから、自殺という彼らの死因は、責める気もないし、意味も感じない。
がん細胞や血栓に特別な意味を感じないのと同じだ。寿命である。

僕は彼らを無言で見送る。

そして、忘れない。



著者が作りたかった、見る抗うつ剤。

息子達にも、いつか何もかもが嫌になる時が来るかもしれない。
そんな時は、早まったことをする前に、半日だけ時間を割いて、このドラマを見ることを約束して欲しい、と手渡したという、ドラマ、『彼女が死んじゃった。』

見てみようかなって思いました。